悲しみも含む この生命のやさしさ
2018
gentle life with a touch of sorrow …
much peace, love and joy to you all in 2018
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I read the book by Taro Okamoto at the end of the year 2017. Some sentences inspired me a lot. Though I am working on different things, I believe everything that I have been doing becomes to one story.
an excerpt from a book ” Okinawan Culture” by Taro Okamoto ( sorry, Japanese…)
年末に読み直した、岡本太郎 沖縄文化論。この2年ほど探していて、でも言葉にできない自分の考えていた答えがとても美しい彼らしい情緒ある日本語で書いてあった。そこには沖縄を媒体として彼の感動を描いている。生命としての源流を探している。昨年何度も岩田慶治氏を読み、そしてここに帰るという。5年前の私にはおそらくこの感動と実感は生まれなかった。この時代の人たちは何かを予言しているけれど、彼らの実感を、流れを汲み取り形にしているものはあるのか?彼らの思想はどこまで届いているのだろう。
これでいいのか?と自問自答を繰り返してきたけれど、良いと言ってもらえた気がして涙が出た。あとは進むのみ。いつか作る物語が一つの大きな流れとなり、少しでも心が動く、想い溢れる世界に。100年先の物語を作らなくては、形に残らずとも、それが何か未来を示すような、そんなものを作らなくては。最後に岡本太郎氏言ってました、”身も魂も酔いしれてしまった。もっとも、溺れなきゃつかめないもんだ。”
以下、本より抜粋
-ところがこちらにあるもの、その肌あいはまったく異なっている。ながい歴史の間、地面にへばりついた植物のように、自然そのままに生きてきた。台風に吹きさらわれ、破れ、自然に朽ち、風化し、しかし新しい芽がその下からしっとりと生え育ってくる。そして同じ運命をくりかえしたどって行くのだ。
それは淡々と凝滞ない。堅牢だとか、永らえることが価値だなんて、考えもしない。
この世界では物として残ることが永遠ではない。その日その日、その時その時を、平気でそのまま生きている。風に耐え、飢えに耐え、滅びるときは滅びるままに。生きつぎ生きながらえる、その生命のようなものが永劫なのだ。柔軟で、きめの細かい肌あい。素朴で、もろく、儚いようだが、強靭なのだ。
-ただそれが媒体となり、それを通して直観し、感じとる、永劫ーなまなましい時間と空間。
悠久に流れる生命の持続。